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親知らずの認識について

親知らずでお悩みの患者様へ、新たな情報をお届けしている千種区の阿部歯科です。

記事の更新日:2020年9月10日


親知らずは、今でもお口の中の大きな関心のひとつですが、古い時代にも関心の一つでした。

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紀元前にはすでに親知らずの認識がされていた

医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、人の歯は32本であると述べているように

紀元前には親知らずの認識が実はされていました。

 

ヒポクラテスは、紀元前460年から377年に生存していたと言われているため、

2000年以上も前にはすでに親知らずに関心がもたれていた事になります。

 

その後、紀元前384年から323年に生存されていたとされるアリストテレスは

男性の方が女性より歯数が多い。と述べていますが、

 

実際には親知らずの性差による欠損の傾向による差であって

親知らずが全て生えれば男女に差は出ません。

 

親知らずも含めて歯の数が確定したのは500年前

学術的に歯の数が確定したのは、1514年から1565年に生存したVesaliusの記述によると言われています。

 

日本において親知らずは関心が持たれており、

俳句関連の書物の毛吹草では

 

姥桜

生ゆる若葉や

親知らず

 

との俳句がのっています。

この書物が出たのは1645年の事で、親知らずという言葉が最初に示された書物とも言われています。

 

そのため、日本において親知らずという言葉が生まれたのは少なくとも約370年以上前の事という事になります。

 

古い時代に親知らずが腫れるという事

古い時代にも親知らずは腫れる事がありました。

腫れる原因は細菌感染なので、感染おさえるために

現在では抗菌薬が処方される事もあります。

 

しかしながら、

世界最初の抗生物質であるペニシリンが発見されて

まだ100年たっていません。

そのため、それ以前に親知らずが腫れた場合は抗菌薬で腫れを抑えることができませんでした。

 

親知らずが腫れるという事は、ずいぶんシビアな状況だったのです。

抗菌薬のない時代には親知らずが腫れる事で感染が強くなり、その結果、死亡してしまうような重篤な状態になる事もあったのです。

 

第一大臼歯と第二大臼歯との区別

このように生える時期も違えば、生えた後の問題も含めて

親知らずである第三大臼歯は第一大臼歯や第二大臼歯とは事情が違います。

 

そのため、親知らずに限って親知らずは「智歯」という特別な名称が与えられており

さらにはラテン語でもDens serotinus(遅い歯)

と名付けられるよう古くから特別視されていました。

 

千種区で親知らずの抜歯にお困りの際は阿部歯科におこしください。

親知らず以外の歯科治療については、こちらのブログでご紹介しています。是非ご覧ください。

 

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